そ れ で も 街 に 音 楽 は や ま な い




 

 

 

 

01.深海遊園地

街のどこか。文月ナツメ

 

 

口から気泡が零れて上空へとあがっていく。その空気の粒の周りを踊るようにエンゼルフィッシュは通過する。

上空からは光は差し込んでは来ない程の海底。空の代わりに人工的な光が施設には満ちている。
舗装されたコンクリートの道の溝には等間隔に色とりどりの電球が光り、それらを空を飛ぶように魚たちが光を跳ね返し続けている。

 

『孤独なコーヒーカップ』、『思い出の観覧車』、『痛がりのジェットコースター』、『うそつきのパイレーツ』

『あなたのなかのお化け屋敷』、『さよならのメリーゴーランド』

 

いくつかの施設の名称が案内に表示されている。

施設名称の下に『施設からお客様へ』と書かれた文章があった

 

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楽しければ楽しいほど。だいすきならばだいすきなほど。

その時間と人のお別れは色濃く鮮明に

まるでゴム紐がひっぱられるほど遠くへ飛ぶように。あなたに訪れてしまうでしょう。

 

当遊園地ではゲストのかたがたが、幸福で満ちたお時間のおわりが涙で滲んでしまわぬよう

海底にてお待ちしておりました。

 

アトラクションをひとつこなされるたびに、ひとつの記憶をお返し致します。

なにかを知ってしまえば、もうそのなにかを知ることは出来なくなります。

あなたたちはおしまいへとお連れしてしまうでしょう。

 

それでもどうか夢の中の夢のようなお時間をどうか過ごされますよう。

お祈りしております。

 

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なんだか意味深ね、そう言った。

 

 

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                     02.神様のいない教室  

夢緑高校教室 百瀬ゆうり  

 

 

 私はずっとずっとずっと、ナツメ先輩がうらやましくてうらやましくて仕方がなかった。あの人が私の好きな人と笑いあうとき、そのきれいな顔をくしゃっと崩しても美しいとき。誰かの相談にナツメ先輩が頷いてあげているだけで、誰かが救われた気分になっているとき。

 私ではそうはいかない。美しい人は美しいだけで意味があって。価値があって。そこにいて良い理由が出来て。誰かにやさしくしてもらえる。

 あなたになりたかった。あなたになれなかった。ただ、そんな重い想いを束ね続けていた。

 

昔から音楽だけは父に教え込まれていた。ただ、そんな願いを込めて楽曲を作ってみた。今流行りのボーカロイドに歌ってもらった作品。

タイトルは「神様のいない教室、あなたの言葉、砂を噛むような恋でした」

平成二十七年二月五日、思い切って投稿をしてみた。私なりのできること。

 

名前は下の名前だけは本名で「ゆうり」。そうぽちぽちと名前を打ってSNSもはじめてみた。

@momose_yuriと画面に打ち込むとすこし違った自分になれた気がした。

架空の自分と、本当の気持ちだけを載せた歌。思った以上に聴いてもらえた。ひとつ再生が進むたびに、何処かの誰かが私の愚痴を聞いてくれている気分になった。 

嬉しいか、といわれると少しわからなかった。ただ共感をしたというコメントだけが右から左に流れていって、少しだけ虚しさは埋まった気がした。

 

Cadd9のフォームで弦を弾いた。音が音に重なってきれいな音だった。私の気持ちの悪い発露もどうか画面の向こうのあなたにとってはきれいなものであってほしいと願った。

 

 

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03.東京ヒートアイランド現象 

ドーナツショップ 柊チエの独白

 

 

 

台詞まで覚えきった文庫本を何度も広げて、大好きな台詞が出てくるまで集中しようとする。でも、駄目。無理。本の中に東京という単語が出てくる。

東京。大嫌い。空気は汚いし、遠いし。お金はかかるし。きらきらしてるし。妬ましい。羨ましい。寂しい。

桜町商店街二丁目のドーナツショップでさっきから四時間、同じ自問自答を繰り返している。

ユウヤが上京した。私はフリーターだ。東京が嫌いだ。毎日LINEの通知が減っている。追いかけたい。東京が嫌いだ。

天秤の上に彼と私の東京嫌いを置いてみる。東京嫌いが吹っ飛んでいった。そもそも私は東京が好きだ。うらやましくて妬ましいだけだ。ちくしょう!

でも友達ともお別れになるのか、そういえば考えていなかった。しかしぷー太郎の私だ。捨てるものといえば人間関係くらいのものだ。

それでも私はこの街が好きでもあるのだ。どうしよう。あ、でもお金ないや結局。

 

ドーナツ屋の前を老人と犬が散歩しながら通過していった。三冊目の小説に入った。足先が冷えてきた。ちょっと店員さん。おかわり。

 

回答というものは悩み悩んだ時間でも、正しい正しくないの結果ではなく、気持ちの振り切れによって選択されていくものである。

なんてちょっと名言っぽく言っても滑稽でしかない。 

選択しようにもお金がなかった。ちょっと店員さん。おかわり。

 

 

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interlude.01 文月ナツメから見た柊チエについて


私、文月ナツメは柊チエと友達だ。それにしてもよくもまぁ、友人関係が続いているというくらい私たちはいつも意見が食い違う。

そして無駄だと分かっているのに要所要所で私は彼女にたいしていつも文句を連ねてしまう。

チエはとても臆病者のくせに感情だけでひた走る。そしてそれを自分自身で冷静に分析して

駄目なところも良いところも分かっているくせに顧みる事をしないのだ。

お気に入りの肩からかけるバッグには本をぱんぱんに詰めており、そんなに持ってもいくら読むのが早いからと言っても

無駄なんじゃない?と言っても改めない。そのくせに一緒に歩いていると、カバンが重い重いと文句を言う。

「文句を言うなら、持つ量を少なくしたら?」と私は言う。

「文句を言い続けられる口があるから私は本を持っていられる」とチエは言う。

一応は行動に理由を付随する能力がある分、ずっと平行線なのである。

「じゃあ勝手にしなさい」と私は言う。

「勝手にするけど、ナツメちゃんに怒られるのすきだから怒ってよ。怒ってる理由はわかってるの」とチエは言う。

私たちは延々と噛み合わない。噛み合わないからこそずっと会話が続いていく。


「勝手じゃない?」と私はまた言ってしまう。

「勝手なことには理由と理屈があるのだ!気持ちがあるのだ!」と彼女はいつも何故か自慢げに言う。

そしていつも私は羨ましいと思っていた。私はそのどれもに逆に原動力にはできず縛られてしまう。

理屈も理由も気持ちもいつだって私をがんじがらめにしている。ねぇ、だから私たちは友達なのかもしれない。

 

 

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04.行方不明 

忍び込んだ非常階段 百瀬ゆうり

 

 

 

 

 

最悪の気分でも、非常階段からみた景色は本当に綺麗だった。

その日の夕焼けは真っ赤で、街の全部を染め上げていた。その時ばかりは「すべて」があまりに綺麗で、

全部の事を忘れられそうな気分になった。

散歩道になっている河川敷も。いまごろ放課後の生徒が彷徨いている桜町商店街も。

北の高台にある真っ白な病院も。私の大嫌いな学校も、等しく綺麗に赤だった。

 

学校は檻で、牢獄で、社会で、色んなものの縮図らしい。

またいじめとからかいの中間地点のようなものがクラスで起きていた。

そしてリナがまた口を噤んでいた。

 

人間性を否定しておきながらそれを笑いに昇華したように見せかけた本人は悪人にすらなりきらず、

特定の人間を貶める行為は本当に不愉快になる。

 

例えば体育の時間。女たちが数人でリナをくすぐる。やめてと彼女は言っているのに人間の条件反射で彼女は笑ってしまう。

そして「笑ってんじゃん」と彼女達は、「リナ可愛い」と吐きながら。押さえつけ笑わせ続ける。

優位性を高め、他人を貶め、さらに自分達は悪人にすらならない。悪人にすらならないから怒ることもできない。

 

「ねぇ、それでも怒ってみるべきじゃない。まじめなトーンで伝えるべきじゃない?」

そう私は言う。

「でも、いいの。そうすれば私がかなしいだけですむから」

リナ、そんな事言わないで。

「それでもどうして私に言うの?」

少しためらってリナは言った。

「悲しいことを知ってもらえるくらい、ゆうりちゃんの事はすきなんだと思う」

 

ねぇ、それなら私は悲しいよ。自分のことを自分でどうか見つけて守ってあげてよ。

そんな事を思った。そんな感情と関係なく、赤は吸い取られて群青色から黒へ街の色は変わっていった。

 

 

 

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                             05.くじら公園の写真家

                              くじら公園 川瀬信介

 

 

 

 

 

まばたきってシャッターみたいだ。たまに恥ずかし気もなくそんな事を考えたりする。

もちろん口に出したことなんてない。喋るのは、嫌いだから。

昔から何かを表立って発言することが苦手だった。意見を言う事も、考えを伝える事も僕には難しかった。どうしてみんな、あんなに次々と言葉を並べ立て、整理整頓し相手に対して気持ちを伝えられるのかわからなかった。そして、その能力が自分にないと思った時、自分が感情を隠すしかない場面に出くわすたびに僕は自分に失望した。

苦しくても無理をすれば砂利のような小石くらいなら、無理をすれば飲みこめるように。僕は不満をいつも一息で食べた。

不満だけではない。誰かにとっても素敵な事が伝えられず、たったひとりでその喜びを噛み締めなくてはならないとき、幸福な気持ちにすら、寂しさと悲しさが混じった。

だからいつだって僕は、嬉しいことは一人で、自分の頭の中で上映する他なかった。

気持ちを上手に伝えられたら、どんなに人生は楽しいだろう。

 

でも、喋ると口元で気持ちが上手く繋がっていかない。感情が先立ってしまってオチから喋ってしまう。会話がいつもちぐはぐにしか相手に伝えられない。

整理整頓したお話を喋ろうとした時には、もうその話は過去のものになっている。もしくは喋ろうとした途端に言葉たちは口元でばらけていってしまう。

そして話を聞いた人が、失望の顔をいつも浮かべる。

話面白くなかったな、何が言いたかったんだろうと、そういう表情になる。

 

そういった感情の機微ばかりはしっかり目に付くのに、上手に伝えることはいつもできなかった。それが悔しくて結局僕はどんどん喋らなくなった。

 

今日は一人でくじら公園まできていた。桜町商店街を突っ切って、湊人駅の裏手側、数分歩いた場所。

くじらは今日も体を水ではなく砂に埋めながら、優しそうな瞳で駆け回る子ども達を見守っている。

光を水面がすべって通り過ぎていく。草木が空に向かってぐんぐんと体を伸ばしていく。

まるでここだけは、幸せを閉じ込めたような、かなしいことを全部忘れたような世界だった。

ぼくはカメラを構えて、シャッターを切っていく。幸せだけを真空パックできるように。

 

きっとカメラをはじめたのは理由が欲しかったんだと思う。

出かける理由。

触れ合う理由。

喋れない僕は、ただその理由をなんとか、この真っ黒な機械に求めた。

 

カメラの前にピースサインをして子どもがやってくる。僕は微笑む。写真を撮る。

歩くのが好きだった。人の事が好きだった。そういう事を思い出せた。

 

カメラを触れるようになってから、僕はどんどん嫌なことから目を逸らすようになったように思う。

どんな場所にも残しておきたい景色なんて、ほんの少ししかないのだ。誰も下水道の写真を取らないし。綺麗に立ち並ぶ商店のゴミ箱なんて映さない。

目をどんどん逸らして、光が見えるほうにいつだって歩いていく。

それは誤魔化しかもしれない、それでも僕にとって、とても健康的な事だと思えているんだ。

 

そして、本当にたまにだけど、魔法のように綺麗に映る景色がある。

雪の中咲く、桜の木を見た。それは寂しそうだけど凛と商店街の中心に立ち、生きている証拠を美しい花を散らしながら教えてくれた(それはとある映画のセットのためのシーンだったんだけれど)。

日並川に流れる水が麻婆豆腐のように赤く染まって、ぷかぷかとダンボールを浮かべておいしそうに見える景色も見た。

そんな景色を見つけるために。いくつも、いつだって僕は写真を撮るんだ。

まばたきみたいに。

 

そんな写真を集めて、僕は毎週水曜日、彼女が暮らす病院へ足を運ぶ。

上手に話はできないけれど、それでも写真をたくさん彼女の前に並べよう。

きっと喜んでくれると思うんだ。